整体師いとう誕生秘話
きっかけ
とても大切な人が重度の腰椎椎間板ヘルニアだったこと。
ちょっとの姿勢変化で、はたまたクシャミで、この人は年に数回電撃痛に襲われ、身動きが出来なくなっていました。
『手術をしても、結果は補償出来ません』
医者のそんな言葉を聞いた私は、一冊の本を手にしました。
『椎間板ヘルニアは手術無しで治る』
この本が良かったかどうかはさておき、この出来事がなければ整体師にはなっていなかったと思います。
昔話し・・・・異常に気付いたのは今は亡き父だった
からだを動かす事が好きで、十代の頃から肉体労働をしてきた私。
20代前半で筋肉はムキムキになっていました。
調子に乗って300sほどの鉄パイプを2人で運んだ後、肩甲骨周辺にとてつもない痛みを感じました。
心配した同僚は私が痛がるソコを丁寧に揉んでくれたのですが・・・・・
これがいけなかった。
帰宅時には息も出来ないほどに痛み出し、家に辿り着いた時には倒れ込みました。
息ができない・・・・痛みを逃がす姿勢が見付からない・・・
本当に『死ぬんじゃないか?』と思ったほど。
冷や汗たらし転がり込んだ近所の総合病院で、私に告げられた診断は・・・・
『疲れが溜まってるだけです』でした。
挙句、『痛み止めの座薬を入れますから横になってください』ときた。
『痛くてなれません』・・・・・押し問答が続き、あきれた私はその場を後にしました。
それからしばらく病院のハシゴが続きました。
行くとこ行くとこでレントゲンを撮り、以上ありませんという有難いお言葉を頂き、冷シップを渡されたり温シップを渡されたりしていました。
この頃になると幾分痛みも収まってきていたので、呆れつつもリハビリ施設のある病院に通っていました。
そんな折、実家で風呂に入ろうとシャツを脱いだ私の背中を見た父がポツリ・・・
『お前、背中おかしいぞ』
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整形外科を中心に5軒もの病院をまわりましたが、肩甲骨の異常に気付いたのはたった一人。こともあろうに私の父でした。
その事をリハビリ施設の理学療法士に告げると、念入りに見て触って・・・
『肉離れみたいだね』。
ようやく納得のいく答えがでました。
画像診断に頼り、見ない触らない。そんな医者が一番多かった頃かもしれません。
『整体』という発想がまだ私の中に無かった頃のお話です。
整体師の道へ
大切な人の腰を何とかしたいのと同時に、
私自身も、肉体労働と不養生で慢性の痛みを抱えるようになっていました。
坐骨神経痛と背部痛で、仰向けで寝る事ができませんでした。
特に右脚のやり場が無くて、寝るときはいつもこの格好。
掛かりつけの病院にいつのまにか併設された『ソフトカイロ』なるものを受けて、
『手だけでからだが変わる』ことに素直に驚き、感動さえ覚えました。
この驚きと感動を大切な人と分かち合いたい。
私も誰かを驚かせたい。
本格的に整体の勉強を始めるまでに長い時間は必要ありませんでした。
沢山の人のお力添えもあって、大切な人は元気になりました。
クシャミも思い切りしています。
修行と勉強を重ねる事でたどり着いた技術と理論に、『手力整体』という名前をつけて、整体はいつのまにか私の本業になっていました。
今や患者様、お客様が私の大切な人です。
大切な人を元気にするために、手の力をフル活用して驚きと感動をあたえること。
それが整体師いとうのミッション(使命)です。
